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■月例会
 

 
・第199回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 徒然草シリーズ
      第1回 「あやしうこそものくるほしけれ」
      *:本シリーズ開催予定日 第2回:6/21(水)、第3回:9/27(水)
 日 時: 2023年 3月22日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
 講 師: 光田 和伸(みつた かずのぶ)様  (国文学者)
 
兼好法師 没後670年にあたり、光田先生が長い間理解しにくかったと述懐されてる『徒然草』について第1回目(3回シリーズ)のご講演をしていただきました。
「徒然なるままに日暮らし硯に向かひて・・」と語りおこされる序文は「あやしうこそものくるほしけれ」と結ばれています。光田先生の「@徒然草は、すばらしい恋愛小説だ。A最初に序文を書き、第30段を書いたところで中断した。B第29段は亡くなった方の手紙を見てその切なさを表し、第30段は亡くなった方の四十九日法要を終えた後の悲しみを書いたものだ。C第31段以降は10年後に再開した。」というお話しに、「徒然草は、愛する女性について書いたもの」で、「あやしうこそものくるほしけれ」は女性への切ない思いを表現したものだと理解しました。『徒然草』は、兼好の生前には全く世に知られていませんでした。その死後 100年ほどたった1431年に歌僧「正徹」が初めて書写したそうです。光田先生は、「兼好は、亡くなった方の縁故やその子孫への配慮から、その弟子に100年間公表を禁じたと思われる」と話されました。光田先生が、第108回月例会で徒然草の「榎木(えのき)の僧正」について御講演いただいた時、「徒然草は、吉田兼好の愛する女性との恋物語だ。」と話された事が、少し理解できました。「徒然草」を読み理解を深めて、2回目、3回目の講座に参加したいと思いました

 

光田 和伸 様

 

 
・第198回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: バブル期の日本に来た演奏家たち
 日 時: 2023年 2月22日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
 講 師: 丸山 昌信(まるやま まさのぶ) 様
      関西クラシック音楽同好会 代表世話人
 
丸川様は、永年にわたり大阪フィルハーモニーの定期会員としてクラシックに親しまれ、FM放送や海外のレコード盤でクラシック音楽に親しまれ、関西クラシック音楽同好会で活躍されてこられました。さて、1980年代、バブル絶頂期の日本には、海外の有名な音楽家が来日し名演奏を聴かせてくれたそうです。1988年に来日した外国のオーケストラは、28もあったそうです。今回のご講演では、来日した音楽家の内、特にドイツにゆかりの深い音楽家であるセルジュ・チェリビダッケ、スタニスラフ・ブーニン、クラウス・テンシュテット、ヘンベルト・ケーゲル、カルロス・クライバーのライブ演奏の触りを鑑賞しながら、各音楽家のエピソードについて紹介いただきました。中でも、「クライバーは、意に沿わないとキャンセルする仕事ぶりだが、そんなリスクがあるにも関わらず彼が指揮する演奏会のチケットは常に売り切れた。1981年の「ポエーム」日本公演は伝説的な名演となっている。」「ブーニンは、ショパン国際ピアノコンクールに優勝の後、来日、日本人と結婚、阪神淡路大震災・東日本大震災等多くのチャリティ公演を多く開催された。」との紹介が強く印象に残りました。音楽鑑賞をしながら解説いただく形態の月例会開催は、初めてでしたが、クラシックを見直す良い機会となりました。

 

丸山 昌信 様

 

 
・第197回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: オラドゥ―ル村虐殺事件と独仏和解 〜 惨劇・和解・配慮 〜
 日 時: 2023年 1月25日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
 講 師: 中祢 勝美(なかね かつみ) 様
      天理大学 国際学部 准教授
 
第二次世界大戦時のナチスによるホロコートが主にドイツ以東で展開されたことは広く知られていますが、フランスの小さなオラドゥール村でも虐殺事件が起きました。連合軍がフランスのノルマンディー海岸への上陸作戦を敢行した4日後の1944年6月10日に、約150名のナチス親衛隊が、村を襲いわずか半日で、642名(男性181名、女性254名、子供207名)を虐殺し、村中を破壊したのです。村中の女性と子供は教会に押し込められ、逃れた女性1名を除き虐殺されました。村の生存者はたった6名だったそうです。ドイツの残虐行為を忘れない為、廃墟と化した村は、そのまま保存され、村の入口には「記憶センター」が設けられています。事件から9年後の裁判では、虐殺を指揮した将校が一人も出廷しなかった等の理由で、生存者や遺族の怒りが収まらず、村はフランス国家との全ての関係を拒絶した。その後、事件から39年後の裁判で、やっと将校の一人が上官の命令で事件を起こした事を認め、終身刑の判決を受けた。事件が起きたオラドュール村の教会で、ドイツのガウク大統領が事実を認め、生存者エブラスさんをフランスのオランド大統領と共に両脇から挟むようにして手を握る事ができたのは、事件から69年後だそうです。和解に尽力されたオラドュール村のフリュジエ村長は、「ドイツに求めたのは謝罪ではなく、事実を認める事」と話されているそうで、この事実を認める事が大変難しい事なのだろう。ウクライナとロシアの戦争や韓国と日本との関係の解決も同様に難しく、長い年月が必要なのだろうと感じたお話しでした。

 

中祢 勝美 様

 

 
 
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