・第100回記念月例会 −歴史・文化に親しむ会−
第100回記念月例会の案内チラシ
テーマ: 「日独の文化交流を探る」
〜 日本を見たドイツ人、ドイツを受容する日本人 〜
日 時: 2014年12月 6日(水) 18:00〜20:00
場 所: 阪急ターミナルスクエア・17
講 師: 中 直一 (なか なおいち) 様
(大阪大学大学院教授)
大阪大学大学院教授の中直一様にお越し頂き、「日本を見たドイツ人、ドイツを受容する日本人」に
ついて、色々な画像資料を見せていただきながら、日独文化交流の一面をご紹介いただきました。
鎖国と呼ばれる江戸時代、実はドイツ人が来日して非常に面白い紀行文を残しており、
明治時代になると、様々な分野で日本人はドイツに学びドイツ文化を受け入れたそうです。
江戸時代には、ドイツ人で博物学者・医師のケンペルや医師のシーボルトが来日しており、
長崎の出島に滞在し、年に一度、将軍に会うため江戸に参府し、大阪、京都、江戸等を見物した様々な
記録を残し、西洋諸国に情報をもたらしたそうです。シーボルトは、大阪角座の芝居見物や
大阪で銅の精錬見学の記録があり、ケンペルは、密かに描いた大阪城や持ち帰った京都の地図等
残されているそうです。彼らドイツ人から見た日本人は、礼儀正しく清潔好きだったとの事。
明治時代になると、イギリス人が日本人のドイツびいきを皮肉るほど、ドイツ語を学び、
ドイツ人に学び、ゲーテやハイネ等のドイツ文学を盛んに翻訳したそうです。東京大学医学部で
教鞭をとったベルツは、日本人を「行儀の良さが骨の髄までしみこんでいる国民だ」と評しています。
カール・ブッセの詩を上田敏が訳した「山のあなたの空遠く・・」の詩は、本国ドイツでは有名でなく、
日本では誰もが知っている有名な詩となっています。本講演をお聞きして、日本人が礼儀正しく
真摯な態度で行動する良い点を持っているから、ドイツ人にも信頼されるようになったのだと、
感じました。
・第99回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「オーストリア農村の家と家族」
日 時: 2014年11月26日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 森 明子 (もり あきこ) 様
(国立民族学博物館・民族文化研究部・教授)
皆様はヨーロッパを列車で旅行をされる時に、広大な農地が広がっているのを目にされませんか?
丘にパッチワークをなす畑、草を食む牛、緑濃い森林、この様な農村風景が次から次へと
続いて行きます。こうしたヨーロッパの田舎の景観は当然そこに住む農家の方々の
暮らしぶりによって作られてきたものです。こうしたヨーロッパの田舎の景観を
作り出すことになった、お百姓さんの営みについて、国立民族学博物館教授の森明子様は、
オ−ストリアとスロヴェニアの国境の村(オーストリア・ケルテン州)を実際に
フィールドワークされ、具体的に調査をされました。森先生に、この村の農業のあり方、
農家の相続や結婚のあり方、さらには、農村の住民構成と結びつきについてお話を頂きました。
村内の各農家は、「牛牧畜+畑耕作+森林」セットの農業経営が行われ、これを維持するため
分割相続されることなく、相続者へと受け継がれるそうだ。畑、草地、牧地、森林、果樹園、
ホーフ(家屋、畜舎、穀倉、納屋)セットの土地資源を引き継ぐ事が生活維持をするために必要だとの事。
相続者だけが結婚し、子供をもうける。非相続者は兄弟が相続した家に留まって生活するか、
家を出る。家に留まる者は、相続者の労働者として農業経営を手伝う。ただ、近年、自動車の普及、
農業機械化、教育の高等化によって、町へと移る非相続者が増え、生活も変化してきているとの事。
田畑を含む土地に執着した日本の様な国は、日本だけでないという事を再認識できたお話でした。
・第98回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「ザウアークラウト・ウェスタン?」
〜 ドイツ製西部劇の世界 〜
日 時: 2014年10月22日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 山本 佳樹 (やまもと よしき) 様
(大阪大学准教授)
大阪大学准教授の山本佳樹様にお越し頂き、ドイツ製西部劇の系譜や特徴についてお話し頂きました。
西部劇というと、アメリカの専売特許のような映画ジャンルと思われがちですが、イタリア製西部劇映画
も有名で、「スパゲティ・ウエスタン」とか、日本では「マカロニ・ウエスタン」とか呼ばれて、
1965年の『荒野の用心棒』の大ヒットとともに一時期大ブームになりました。実は、西部劇は
イタリアだけではなく、ドイツでも制作され、とりわけ1960年代には、東西ドイツそれぞれで
自家製西部劇が大ヒットした様です。ドイツでは、ドイツで製作された西部劇を
「ザウアークラウト・ウエスタン」と呼んでいるそうです。説明するまでもないことですが、
“ザウアークラウト”とは、ドイツ人やドイツ系の人達が好んで食べるキャベツの漬物です。
「ザウアークラウト・ウエスタン」について、下記の様な興味深いお話しを聞く事ができました。
西ドイツでは、西部劇と言えばカールマイの作品が映画化されており、
良い白人と悪い白人がおり、インディアン酋長であるヴィネトウは白人とインデアンとの仲裁者として
描かれているそうです。これに対して、東ドイツの西部劇では、白人は全て悪でミティチ演じる酋長は
レジスタンスの闘士として描かれているそうです。どちらにしてもドイツ人とインディアンの間に特別な
親和性が存在するという考え方があって、インディアンへの熱狂的思い入れが西部劇を成功させ、
東ドイツでは人口1700万人の内900万人を動員するといった盛況ぶりだったそうです。
・第97回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜収容所」
日 時: 2014年 9月24日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 川上 三郎 (かわかみ さぶろう) 様
(鳴門市ドイツ館館長)
今年は第一次世界大戦の勃発からちょうど百年目にあたります。1914年6月に勃発した戦争は
当初は短期決戦と思われていましたが、結局4年の長きに亘る世界戦争へと発展し、膨大な犠牲
が払われることになりました。日本は日英同盟に基づき、8月にドイツ帝国へ宣戦を布告し連合国
の一員として参戦しました。日本の陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻
略、さらに海軍はドイツが植民地支配していた南洋諸島を攻略しましたが、日本が第一次世界大戦
でドイツと戦ったという歴史を知る人は少ないかも知れません。
戦時下において、日本は陸海軍とも国際法を遵守し、ドイツ軍捕虜を丁重に扱いました。青島で
捕獲した捕虜約4,700名は全国12か所の収容所に送られました。板東俘虜収容所もその一つ
です。その板東俘虜収容所についてお話しいただきました。板東俘虜収容所では、ドイツ兵は
地元住民との交流も許され、ドイツ料理、牧畜、製パン、音楽などのドイツ文化が日本人に
伝えられたそうです。例えば、ベートーベンの「交響曲第9番」はこのときドイツ人捕虜によって
演奏され、はじめて日本に伝えられたのです。演奏会は250回も行われ、演奏された楽曲は
500曲はあると思われるそうです。演劇、講演、スポーツ、遠足等も行われたそうです。
また、石版や謄写版によるたくさんの印刷物もつくられ、謄写版には専門家も注目する程のものだ
すです。このように、その収容所生活は、第二次世界大戦時あるいはシベリアの収容所のイメージ
とはあまりにもかけ離れていることに驚きました。この板東俘虜収容所は、
「バルトの楽園」という映画化もされました。
・第96回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「2万個のくすりのタネから1個の新薬が生まれる」
〜 医薬品の開発プロセス 〜
日 時: 2014年 8月27日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 中江 裕子 (なかえ ひろこ) 様
(神戸薬科大学 特任教授)
神戸薬科大学の中江裕子先生にお越し頂き、新薬を認可する厚生労働省の
立場から医薬品の開発プロセスについてお話頂きました。
新薬の開発数において、日本はアメリカ、イギリスに続いて3位だそうです。
新薬は、候補化合物の抽出等の基礎研究→動物等を用いて候補化合物の性質を検討する非臨床試験→
医薬品の候補化合物質の人での作用効果を試験する臨床試験(治験)→承認申請→承認のステップを経て
開発され、その期間は延7〜14年、基礎研究で抽出した化合物が、承認申請できる化合物となる
比率は約2万分の1だそうだ。どちらにしても、効果・効能と副作用などを比較考量の上、有用性を
総合的に判断し新薬が誕生している様です。承認審査は、厚生労働省管轄の医薬品医療機器総合機構
(PMDA)が行い、厚生労働大臣が承認する体制との事。PMDAのホームページで、承認された
新薬の治験データを閲覧でき、しかも承認後に医療機関や薬品会社から届けられた副作用報告データも
閲覧できるようです。そして、副作用を救済するセンターも設けられているとの事。更に、市販された
後も、再審査制度/再評価制度の仕組みがあり、新薬の場合、再審査の期間は8年間だそうです。
ちなみに、再審査が終わらないとゼネリック薬品として市販できないとの事。
・第95回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「ケーテ・コルヴィッツとその時代」
日 時: 2014年 7月23日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 高坂 純子(こうさか じゅんこ) 様
(大阪大学非常勤講師)
ケーテ・コルヴィッツという20 世紀前半のドイツ美術を代表する芸術家とその作品に魅了された
高坂純子先生に、コルビッツとその作品についてお話をして頂きました。高坂先生は、大阪大学を
始め複数の大学に出講されておられるとの事。
紹介いただいたコルヴィッツの作品には、子を持つ母親として二つの世界大戦を体験した「激動の20 世紀」が
色濃く反映されているものでした。戦場のリアルな描写ではなく、母親という存在を通して表現される戦争の
悲惨さ、戦争が生み出す悲しさが見る者の心を深くえぐりました。特に、戦死した我が子を悼んだコルヴィッツ
の彫刻作品「ピエタ」は、現在ベルリンの中心街にある「ノイエ・ヴァッヘ」
(ドイツ国立中央戦争犠牲者追悼所)で、戦争犠牲者を追悼し、平和を希求する象徴的存在なもので
ありました。「ピエタ」とは、聖母マリアがキリストの亡骸を抱いて嘆き悲しむ姿を表わす絵画や彫刻を
意味しますが、コルヴィッツがこの表現様式に託したものは、戦争で我が子を失った悲しみなのだそうです。
「職工の蜂起」、「農民戦争」、「戦争」、「種を粉に挽いてはならない」といった版画の代表作、
「母と二人の子供」といったブロンズ像を紹介いただきましたが、どれも少し重たい気分にさせる衝撃的な
作品でした。
・第94回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「社会言語学の視点からみたドイツ・コミック史」
日 時: 2014年 6月25日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 細川 裕史(ほそかわ ひろふみ) 様
(阪南大学経済学部専任講師 Ph.D.)
「マンガ・ブーム」が生んだ新たな研究対象を、多くの実例を示しながら紹介して頂きました。
ドイツの本屋に立ち寄り中を覗くと、「ドラゴンボール」、「セーラームーン」、「ナルト」、
「名探偵コナン」や「ワンピース」などなどお馴染のマンガ本がずらりと並んでいます。
ドイツで翻訳されている日本のマンガは370タイトル以上もあるそうです。
現在のドイツでも、「マンガ・ブーム」と呼ばれるほど日本製マンガの人気は高いようです。
そもそも「漫画」という言葉は、明治時代に輸入された“comic”や“cartoon”の日本語訳として使用
されるようになったとの事です。それが、特に昭和初期から普及し始め、現代における漫画ブームを経て、
「漫画」という言葉もすっかり定着し、今や「マンガ」は世界語となり、日本から全世界へ輸出される
文化産業へと成長しています。「マンガ」は視覚情報を絵で表現し、しかも絵は話の展開を動的に描写
します。声は文字化され、音は擬音で表現されます。日本文化である「漫画」がどの様に各国の言語に
翻訳されて、世界の「マンガ」として受け入れられているのか説明もしていただきました。
社会言語学と云う学問分野があります。言語を社会的なコミュニケーションとして考察する学問分野です。
このマンガ人気の裏には、ドイツにおけるコミック文化の特性や読書習慣の変遷、読者層の変化に
合わせた翻訳上の工夫など、社会言語学的なテーマが多く隠されています。日独の文化比較という観点
からも大変興味深いものでした。
・第93回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「日独外交通訳の現場から」
日 時: 2014年 5月28日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: ベアーテ・フォン・デア・オステン 様
駐日ドイツ連邦共和国大使館・総領事館
一等書記官 通訳・翻訳部長
ドイツ大使館の通訳・翻訳部長であるベアーテ・フォン・デア・オステン氏にお越し頂き、
通訳という仕事に光をあて、とりわけ日独外交通訳の現場からさまざまなエピソードを交えながらそ
の難しさ等について流暢な日本語でお話頂きました。
テレビなどで国際交渉の場面が放映されることがよくありますが、その場合、会話は必ず通訳者
を介してなされています。本来は直接会話出来れば良いのでしょうが、文化も言葉も異なる人達が
会話する訳ですから、それを仲介する役割の人が必要になります。それが通訳者です。通訳者は
重要な役割を負っている割には余り注目されることがありません。通訳者は透明人間の様な存在で
あり、自分の解釈や意見を挟むことは許されません。最高の通訳とは、通訳が介在していることを
話し手が忘れてしまうことだと云えます。つまり、通訳は必要悪でありつつ、なくてはならない存在と
いうことになります。
通訳は言葉を機械的にただ右から左へ変換させるだけのものではありません。話し手の言葉を
忠実に訳すことは勿論大事ですが、異文化の人との間においては、それだけでは誤解を生むことも
あります。言葉だけではなく、文化を訳すしっかりとした知識・教養が必要です。そのためには日々
様々なことにアンテナを張り巡らせ、常に学ぶ姿勢を忘れないことが必要です。つまり「生涯学習」
が通訳者のキーワードです。さらに、どんな職業でも必要なことですが、強い職業倫理を持つことと
日頃より体調管理をしっかりと行い、健康と体力を維持することも欠かせない条件だと云えます。
このような内容に関するお話を頂きました。
・第92回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「ワーグナーとルートヴィッヒU世」
日 時: 2014年 4月23日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: やました とおる(山下 徹) 様
(演劇プロデューサー/オペラ講座講師)
演劇プロデューサーでオペラ講座講師をされている、やましたとおる(山下徹)様に
「オペラの魅力」とか「オペラを見る楽しみ」という様な概論的な話ではなく、
ワーグナーを取り上げてお話頂きました。
今や、多くの日本人観光客が訪れる観光名所となっているノイシュヴァンシュタインと
いう名前のお城を建てたバイエルンの王様ルートヴィッヒは、精神病患者に仕立て上げられ
自殺とも他殺とも判断つかぬ謎の死を遂げた王様ですが、ドイツ近代ロマン派の
大作曲家リヒャルト・ワーグナーを終生変わらなぬ資金援助し、交流を続けたとのお話を、
映像や音楽を交えながらお話をされました。ワーグナーとルートヴィッヒが深い結びつき
であった事がよくわかりました。
また、ワグナーの曲は長い事で知られていますが、
14時間以上にもなるワーグナーの大作「ニーベルングの指輪」は4夜に分けられて
上演される事、客席から見えない舞台の下へと潜り込む様な構造をもった
オーケストラ・ピットを備えたオペラハウスを考案し実現した事等のお話を聞いて
ビックリしました。
・第91回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「競技スポーツの本質とその効用」
日 時: 2014年 3月26日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 中村 博司(なかむら ひろし)様
(堺自転車のまちづくり・市民の会 代表)
自転車に導かれるようにして人生を歩んでおられる中村博司さんにお越し頂き、
全日本選手権で優勝した時の自転車競技の話、ツール・ド・フランスにメカニック
として参加した経験等について、お話をお聞きしました。中村さまは、
中学校への自転車通学から自転車とのお付き合いが始まり、国民体育大会出場
全日本選手権大会での優勝、さらに自転車部品メーカーの会社「シマノ」へ
の入社へと歩んでこられたそうです。また、入社後もツール・ド・フランスへの
メカニックとして参加される等、自転車競技に明け暮れる会社生活を送られ、
それが高じて、最後の会社生活では「自転車博物館」への出向となり、さらに
退職後は地元の堺市で「自転車を活用する街づくり」に取り組んでおられるそうです。
そんな中村様のお話しの中で、「勝敗は実力+運」、「100人程度のレースで、
実力が10番目であってもワンチャンスを生かし優勝。その為に練習が必要」、
「ツールドフランスは、3週間で、3500Km、標高差6000mを登る日1週間」
がとっても印象に残りました。
・第90回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「聖書とユダヤ人:安息日について」
日 時: 2014年 2月26日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 手島 勲矢 様 (てしま いざや)様
(ヘブライ語聖書・ユダヤ思想・宗教哲学、Ph.D.)
ユダヤ思想やヘブライ語聖書などをご研究されている手島勲矢先生にお話を頂き
ました。一般的な日本人には、ユダヤ人とかユダヤ教と云っても学校で勉強する
断片的な知識しか持ち合わせておらず、余りにも宗教的な違いが大きく、理解を
超えている処があります。しかしながら、日本でも中東情勢が報道されない日は
無く、中東における紛争は世界の政治情勢に大きな影響を及ぼしています。
2012年末にイスラム教について勉強しましたが、ユダヤ人とユダヤ教について
勉強しました。
ユダヤ人は聖書を世界にもたらしたことで知られていますが、その聖書とユダヤ人の
結びつきの強さをしめすものとして、現在も多くのユダヤ人が守る安息日があります。
この安息日は、聖書で語られている天地創造の業は6日間でなされ、7日目に神が
休息したことに由来するものです。それでユダヤ人は、金曜日の夕べから土曜日の
夕べまでを安息日(シャバット)として、聖書の中で命じられているように、
仕事を一切しない特別の日であります。それは、聖書の表現「夕べから夕べまで」に
ちなんだものですが、このような安息日に行われる行事と慣習を例に、ユダヤ人と
聖書(トーラー)の結びつきについて、体験談を交えてご説明いただきました。
手島先生の体験談を通して、その言葉の端々から、ユダヤ人、ユダヤ教、その生活
ぶりなどを感じ取ることができた様な気がします。「ユダヤ人」とか「ユダヤ教」
とかいう言葉を発する時に、何か表現出来ない特別な拘りの気持ちが湧きますが、
それは根拠のない先入観によるものだと思いました。
・第89回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
テーマ: 「ドネルケバブとドイツ社会の現在」
日 時: 2014年 1月22日(水) 18:00〜20:00
場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
講 師: 石井 香江 様 (いしい かえ)様 (同志社大学 グローバル地域文化学部 准教授)
ドイツのトルコ風ファーストフード「ドネルケバブ」に光を当て、この新しい食べ物が戦後のドイツ社会に
定着し、変容するこの動きが現在のドイツ社会の何を映し出しているのかについて、お話をしていただきました。
今、ドイツは、その移民政策により、特に多くのトルコ人が働き生活をしています。ドイツで生まれドイツ
で教育を受けたトルコ人の若者が沢山いるそうです。ドイツのトルコ人は一つの文化的勢力になる程の数で
各所にトルコ人街も存在します。このような変化に伴い、トルコ人の間だけではなく、ドイツ人の間でも
トルコ風ファーストフード「ドネルケバブ」が若者を中心に広がっており、駅の構内などでも手軽に食べる
事が出来るとの事。
お話をお聞きして、ドイツにおけるトルコ人問題の現状を良く理解することが出来ました。
トルコの食べ物「ドネルケバブ」は、味付けやイメージを変えながらドイツ社会に溶け込もうとしている点は、
云うならば2世や3世のトルコ系ドイツ人のあり姿と重なって見えます。しかし、一方ではトルコ系ドイツ人
自身のアイデンティティーの問題、又、他方では受入れ側のドイツ人が「血の問題」、「遺伝子」の問題に
すり替えていくという、過去の恐怖が蘇ってきます。ドイツ社会が再び不安定化する
リスクを孕みながら、解決の糸口がない状況が良く分かりました。