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■催事実績内容 〜 2017年 〜
■月例会

 
・第136回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 「 講談に導かれて 」
 日 時: 2017年12月20日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 旭堂 南照 (きょくどう なんしょう) 様
      ( 講談師 )
 
女流講談師の旭堂南照さんを講師にお招きし、「講談に導かれて」と題しお話をいただきました。併せて、「真柄のお秀」と題する痛快な講談を一席弁じていただきました。更に月例会にご参加いただいた方全員が、自己紹介講談をつくり一人一人大きな声を出して発表し(弁じ)、終始拍手喝さいの月例会となりました。
旭堂南照さんは、社会人の時に、講談の何たるかも知らずに講談を習い始め、その2年後51歳の年に師匠の旭堂南陵一門に入門されたそうです。南照さんによりますと、落語のお客様は「おもしろかった」と評しますが、講談の場合は「今日も良い話をしてくださって有難う」という評が嬉しいそうです。「ミチコ先生とマーマレードと対馬丸」という講談について、「語り伝えたい」という思いで創作されたとのお話しに、落語とは違うんだと認識しました。戦時中、学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に魚雷攻撃を受けて沈没し、学童約780人を含む約1500人が犠牲になりました。政勝さんは両親と兄姉計11人で船に乗り込み、政勝さんと姉1人だけが救助されたそうです。助かった政勝さんの妻であるミチコさんは、南照さんが小学校の時の恩師で、講談「ミチコ先生とマーマレードと対馬丸」は、恩師との思い出や沈没当時の状況をつづったお話なんだそうです。
入門して7年半、2016年4月迄サラリーマンとして働きながら講談師の世界へシフトされ、ずいぶんと御苦労されたかと思いますが、明るくて気配りのゆきとどいた南照さんでした。  

 

旭堂 南照 様

 

 

 
・第135回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 美術・工芸シリーズT-2 「仮名文字の美しさ」
 日 時: 2017年11月22日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 瀬川 賢一 ( せがわ けんいち ) 様
      ( 書家・大阪教育大学准教授 )
 
仮名文字文化の誕生と変遷についてお話しいただくと共に、美しい和紙に美しい仮名文字を書いていただきました。
中国から取り入れた漢字の音を利用して、日本語を書き表すことから万葉仮名が平安時代に生まれたそうです。例えば、法隆寺五重塔の落書き「奈尓波都尓佐久夜己・・」は、古今和歌集の「なにわづにさくやこのはな・・」の歌を万葉仮名(男手)で表したものだそうです。やがて、万葉仮名を崩した(草体化)草仮名が生まれ、元を知らない伝言ゲームの様にだんだんと崩され、やがて平仮名(女手)が生まれました。この間、平安期のわずか100年間だそうです。高野切古今集は、1049年頃に書かれた古今和歌集の伝紀貫之による写本で、仮名文字の字体が最も美しい現存する最古のものとされています。その中の多くが部分的に切り取られ、掛け軸として鑑賞することが行われました。切(きれ)と呼ばれるのはそのためだ。その一部が秀吉から高野山にもたらされたので高野切と呼ばれるようになったそうです。
書道の手本としても尊重されています。また、高野切のお話しだけでなく、雲母箔を摺り込んだ唐紙に書かれた本阿弥切古今集、寸松庵色紙の散らし書き、現代かな作家の杉岡華邨等の紹介等、仮名文字文化の変遷について、当時書かれたものを見ながらお話しいただきました。
美しい仮名文字を愛でる日本人独特の感覚に少し触れる事ができました。  

 

瀬川 賢一 様

 

 

 
・第134回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 美術・工芸シリーズT-1 「琳派 ―美を愉しむ―」
 日 時: 2017年10月25日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 福井 麻純 ( ふくい ますみ ) 様
      ( 細見美術館 主任学芸員 )
 
京都の細見美術館の主任学芸員である福井麻純さんに日本美術の中でも華やかな作風で広く知られる琳派ついてお話しいただきました。
「江戸初期に、京都の本阿弥光悦・俵屋宗達の周辺において萌芽し、江戸中期の尾形光琳によって大成され、江戸後期の酒井抱一により江戸で再興された装飾的な作風のグループ」を琳派と呼んでいるそうです。 宗達、光琳、抱一の活動期は約100年ずつ隔たっており、世襲に受け継がれた流派ではなく、先人の芸術に私的に傾倒(私淑)し、これを模範として制作を進めた美術工芸作家達だ。絵画にとどまらず、陶芸、漆工、染織、扇子、硯箱、着物等々生活を彩る様々なものを手掛けた。明治から昭和にかけた京琳派再興としてあげられる作家に、上坂雪佳があげられるとの事。
京都の工芸界を牽引したという神坂雪佳と作品の話を聞いて、伝承より私淑が文化芸術を大きく発展する力になりえるんだと強く感じた。  

 

福井 麻純 様

 

 

 
・第133回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: ヨーロッパのカトリックにおける奉納習俗について
 日 時: 2017年 9月27日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 岩井 洋 ( いわい ひろし ) 様
      ( 帝塚山大学 前学長・文学部教授 )
 
ご専門の一つである宗教社会学のご研究から、とりわけ西欧のカトリック社会の宗教文化についてのお話をいただきました。ヨーロッパのカトリックには、日本の絵馬によく似た「エクス・ヴォート(ex-voto)」と呼ばれるものを教会に奉納する習俗があるそうです。
エクス・ヴォートは、ラテン語の「誓願により」で、カトリック世界における聖人・聖母に対する感謝の奉納物です。起源は、身体の部分をかたどったものから、奉納画に発展したそうで、15世紀半ばにイタリア中部でおこった奉納画の習俗が、16世紀以降、ヨーロッパ全土に普及しました。
日本の絵馬の画題が「謎解き」と「判じ絵」であるのに対して、エクス・ヴォートは、聖人・聖母が奇跡を起こした出来事を描写したもの。聖母マリアは、1830年の「奇跡のメダイユ教会(パリ)」を皮切りに、世界各地で出現し、奇跡譚が広まって巡礼地となり、エクス・ヴォートの奉納も習俗として定着していったようである。ちなみにプロテスタント教会には、このような習俗は無いそうです。日本と似ている習俗のお話しに少し親近感がわきました。  

 

岩井 洋 様

 

 

 
・第132回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 生誕150年 名言でたどる南方熊楠の人生
 日 時: 2017年 8月23日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 唐澤 太輔 ( からさわ たいすけ ) 様
     ( 龍谷大学世界仏教文化研究センター 博士研究員 )
 
今年は「南方熊楠」 生誕 150 年にあたります。 新進気鋭の南方熊楠研究者の唐澤太輔博士をお招きし、「知の巨人」と称される南方熊楠(1867-1941)の 人生を通観するお話をいただきました。
熊楠は、学校はきらいで、山野を駆け巡り、好きな動植物の観察に熱中したそうです。 座右の書である博物学書「和漢三才図絵」(105巻81冊)を読み写し、 科学雑誌「ネイチャー」に51編もの投稿を続け(世界最高記録)、大英博物館では書籍を読み漁り 計1万数千ページも筆写している。 また、日本の粘菌研究の先駆者でもある熊楠が、粘菌研究を始めたのはキューバに留学した頃で、 約7000点もの標本を残し、昭和天皇へ粘菌に関する御進講も行っています。 キノコ研究では、那智や高野山の山野に出かけては採集し、30数年にもわたって写生と記載に没頭し、 3500枚もの菌類図譜を残しました。
一方で、物理学・心理学・第六感により知りえる領域と、人智を超えて知ることが不可能な領域が 様々に入り混じった宇宙的思想の体系モデル「南方マンダラ」を記したそうです。 これは、熊楠が、研究活動を通じて、その対象である動植物等も宇宙を構成する領域の一つであり、 いろいろな領域が入り混じり関わり合って神秘な環境(宇宙)を形成しているという考えに至った のではと思います。
更に、1906年、明治政府が、各集落毎に数々ある神社を合祀して一町村一神社とする神社合祀令を公布すると、 これに対して、熊楠は反対運動を行ったそうです。 これもまた、南方マンダラで示す様に、神社を取り壊せば(神林が無くなれば)そこに棲む貴重な生物は死に絶え、 しまいには農業や漁業にも影響を及ぼすと考え、強く反対したのだと感じました。
熊楠について、ほんの少し理解できた気がしました。  

 

唐澤 太輔 様

 

 

 
・第131回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 夢と冒険  〜 今リーダーに求められる力 〜
 日 時: 2017年 7月26日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 辰野 勇 ( たつの いさむ ) 様
     ( 株式会社モンベル 創業者・代表取締役会長 )
 
アウトドア総合メーカーのトップブランド「モンベル」創業者で会長を務められる辰野勇様は、 21歳でスイスのアイガー北壁日本人第二登を果たすなど、若いころから体を張った挑戦を 続け、登山家・冒険家としても知られておられます。
1975年(28歳)で設立した会社は、今や年商720億円、利益100億円、従業員2500人、 全国で120店舗を有する企業グループに成長しています。そんな今も年間数十日を 野外で過ごす日々を送ると同時に、社会貢献活動や、災害支援活動を積極的に行っておられるそうです。
いただいたお話しの中で、
「企業経営も同じで、人が生きていくために必要な力は、集中力・持続力・判断力、そして決断力だ。 定石に従って、自分の経験を加味しながら決めていくが、それは決断ではない。 決断とはチャレンジです。将来を見越して、あえて定石とは違う困難なものを選択をすることだ。 高校一年の時、28歳になったら山に関係した商売をしようと決めました。そして28歳の時、 山仲間の真崎文明氏と実質資本金ゼロで会社モンベルを創る事を決断した。だから今があります。」
とのお話が特に印象に残りました。 夢を持つことの大切さ、チャレンジするやりがいについて、改めて考えさせられました。  

 

辰野 勇 様

 

 

 
・第130回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 「カフエーパウリスタに魅せられて」
 日 時: 2017年 6月28日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 若林 あかね 様
      (有限会社ジオメディアプロダクション代表取締役/プロデューサー/ディレクター)
 
若林あかね様は、ブラジル移民について多くの人に知ってもらおうと、伝道師であると自認され活動を行ってこられています。今回のご講演では、スターバックスの様な「カフエーパウリスタ」というコーヒーチェーン店が、100年前に日本全国に22店舗以上存続し、初期のブラジル移住と深い関係にあることをお話しいただきました。
高知県出身で「ブラジル移民の父」と呼ばれる水野龍(1859〜1951年)が、ブラジルへの第1回契約移民781名を引率し、笠戸丸にて1908年(明治41)4月28日に神戸港を出発、6月18日朝にサントス港に接岸しました。この日をブラジルでは「日本人移民の日」、日本では「海外移住の日」記念日だそうです。 この第1回目の移民があった1908年(明治41)に、ブラジル・サンパウロ州政府は、コーヒーの販路拡張のため、今後3年間にわたりコーヒーを水野龍に無償供与し、同時に水野が日本各地にコーヒー店を開店するという契約をしました。
1911年にカフェーパウリスタの1号店である箕面店を開業、関西では1912年に甲陽園店が開業、更に道頓堀店、戎橋店等が開業し、その開業には、水野龍、阪急東宝グループ創業の小林一三、大阪工業大学を創設した本庄京三郎がタッグを組んで大きな役割を果たしたそうです。
残念ながら現存していたカフエーの建物は昨年すべて解体されてしまったそうですが、解体時に若林あかね様が1号店の箕面店と西宮市甲陽園店の2店舗の映像を記録されたとのことです。
この撮影された映像を織り交ぜてお話をいただき、知らなかった歴史を記憶遺産として伝える事の大切さを感じました。また、実際にサンパウロで講演されたり、 水野龍の三男である水野龍三郎さん(ブラジルのパラナ州)に実際にお会いされインタビューされている等のお話をお聞きし、真の伝道師だ!と感銘しました。  

 

若林 あかね 様

 

 

 
・第129回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 「ドイツの難民問題」
 日 時: 2017年 5月24日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 藤澤 一夫 (ふじさわ かずお) 様
      ( 元・ドイツ和光純薬社長 )
 
2015年と2016年だけで、ドイツに約117万人(難民登録者数)の入国があったそうです。このドイツの難民について、ドイツでのビジネス経験をお持ちで、ドイツ全般に渡ってその動向を注意深く研究されている藤澤一夫様にお話をしていただきました。
藤澤様によりますと、入国した難民登録者は、難民申請による審査を受け、認定された者のみが難民として保護を受けられるそうです。2016年に難民申請した69.6万人の内、62.4%(43.4万人)が難民として認定されたそうです。これら難民に要する費用(生活保障/ドイツ語講習/就労支援)は、2016年だけで2.2兆円で、年々増加してゆくそうです。結果、ドイツの外国人居住者は2015年末で総人口の11%にもなっています。
このように難民の受け入れを積極的に進めている中、2016年12月にケルン中央駅前広場で、集団性的暴行・強盗事件が発生した。被害者1218人で半数が性犯罪、容疑者153人の内68人が難民申請者であったそうである。
このような事件があったにも関わらず、ドイツの世論は、難民受け入れを推進するメルケル首相やその連立内閣を過半数を超える人々が支持し、66%の人が多量の難民を処理できると判断しているそうです。更に、驚くなかれ、ドイツの財政収支は、2016年は3兆円の黒字となっており、難民がドイツ経済にプラスの影響を与えているんだそうです。「日本だったら難民を受け入れるだろうか?どうすれば良いのだろう?」と、ちょっと信じられないビックリするお話しでした。  

 

藤澤 一夫 様

 

 

 
・第128回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 宮沢賢治の真の願い
      − 童話『やまなし』から −
 日 時: 2017年 4月26日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 光田 和伸 (みつた かずのぶ) 様
      ( 元国際日本文化研究センター准教授 )
 
宮沢賢治は日本では世代をこえて最も愛されている詩人であり童話作家の一人です。1896年に岩手県の現在の花巻市で生まれ、1933年に37歳の若さで亡くなりました。賢治の童話は現在では、殆どの小学校で教えられていますが、60歳台の世代には馴染みの薄い童話です。『やまなし』という童話は、最愛の妹とし子が亡くなった半年後に、岩手毎日新聞にて発表されました。
講師の光田先生は、『やまなし』について、『宮沢賢治は、父の死に次いで妹とし子の死という理不尽と思える体験をしました。その理不尽さを理解して生きてゆくために書いた物語です。宮沢賢治にとって父は導くものとして存在し、父が子供に輪廻転生を教える様を、クランボンとそれを餌とする魚、その魚を餌とする「かわせみ」、生きるために必要な豊穣な実りを供してくれる『やまなし』について、父親の蟹がニ疋の子供の兄弟蟹を導く童話として書いたものだ。』といった解説をしていただきました。
宮沢賢治が同じ時期に綴った詩「永訣の朝」についても紹介いただき、妹とし子の死を法華経の世界と重ねて作った詩である事をお聞きし、『やまなし』という童話がより理解できた気がしました。
童話に出てくるクラムボンは、教育現場では何なのかは明らかにせず、子供達の自由な発想に任せる、それが賢治の狙いなんだ、という解釈がなされている様です。しかし、先生は、「クランボンは、蟹の稚蟹になる前のプランクトンで、賢治がクラブ(蟹)とプランクトンを組み合わせた造語だ。自力では動けず水の中を浮遊し成長する生物だが、魚には抗う事もできず簡単に食べられてしまう(殺されてしまう)生物として書かれている」と解説いただき、より深く『やまなし』を理解できた気がしました。同時に、教育現場での「子供達の自由な発想に任せる」といった事に、改めて疑問を持ったお話しでした。  

 

光田 和伸 様

 

 

 
・第127回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: インド・アッサムに日本文化の源流を遡る
      − インパール戦跡探訪と共に −
 日 時: 2017年 3月22日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 鏑木 義博(かぶらぎ よしひろ) 様
      ( 大阪商業大学講師、Ph.D. )
 
鏑木義博様は、インドの大学で博士号を取得され、長年インドの研究をされています。日印文化の源流だと言われれるアッサム地方を舞台に、インドの「多様の中の統一原理」たるヒンドゥー教とカーストを基軸に、「混沌と悠久」「変わり変わらぬインド社会」を解き明かすと共に、日本とインドとの世界観・人間観を対照して解説いただきました。
インドと云う国は、約13億人もの人達が、実に多様な民族や歴史・文化の背景の中で暮らしています。また、仏教が誕生した国であり、奈良時代に東大寺の大仏開眼供養の導師を務めたのは菩提僊那というインド僧でした。
このインドの中に、お茶の一大産地として知られるアッサム地方があります。東北インド7州を包含して、北にヒマラヤ、東にミャンマー(旧ビルマ)、西・南にベンガルを望む山岳・丘陵地帯です。ミャンマーに接するインパールという街は、先の大戦中、「インパール作戦」で斃れた数多の兵士の鎮魂の場であります。このアッサム地方の歴史と文化を辿ると、元来はモンゴロイド系の部族社会で、ヒマラヤ東麓から雲南を経て西日本に広がる照葉樹林帯文化の源流「照葉樹林帯文化論」だと言われており、日本の生活文化の基盤をなす主な要素の起源だと云う学説となっています。
ヒンドゥー教は、多神教でプラフマー/ヴィシュヌ/シヴァの三神一体の宗教で、御釈迦様は、ヴィシュヌの9番目の化身だそうです。そして、京都三十三間堂の二十八神、七福神の大黒天/毘沙門天/弁財天も、ヒンドゥー教の神様なのだそうです。日本への伝搬は確かだといえます。そして、インドの日系製造業は中国を抜いて今や1位となり急成長が続く中、カーストの最下位の身分である不可触民の家々が全体の2割程未だに残っている等「変わり変わらぬインド」のお話しをお聞きして、大きくて掴みにくいインドについて少し理解できた気がしました。とても有意義で興味深いお話でした。  

 

鏑木 義博 様

 

 

 
・第126回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 テーマ: 能・狂言とはなにか、どのように楽しむのか
      − 表情豊かな能面の秘密 −
 日 時: 2017年 2月22日(水曜日) 16:00〜17:30
 講 師: 川島 靖男 (かわしま やすお) 様
      ( 関西歌舞伎を愛する会 事務局 )
 
「関西・歌舞伎を愛する会」の事務局長で、Klub Zukunftの正会員でもある川島靖男様に、「能・狂言の歴史や楽しみ方」についてお話をして頂きました。「能楽」は約650年前の中世(室町時代)に生まれ、現存する世界最古の舞台芸術だそうです。「能楽」とは能と狂言を併せていう用語で、明治以降に一般的に使われるようになった様です。
「能楽」の源流は時代を更に遡り、奈良時代に中国から「散楽」が伝わり、平安時代になると、滑稽なものまね芸の強い散楽が「猿楽」、農村で五穀豊穣を神に祈る散楽が「田楽」と変化した事。鎌倉時代になって、猿楽と田楽に歌舞音曲が組み合わされ劇形態で演じる能楽の原型が生まれた事。大和猿楽の四座(座:劇団)がこれを演じ、奈良地方を中心に活躍した事。大和猿楽四座は、春日大社や興福寺等の神事に奉仕することを職務とし、後の観世、宝生、金春、金剛へと繋がる事。座の観阿弥・世阿弥父子が、将軍足利義満に重んじられ、現在の能楽とほぼ同等の芸能に発展させた事、豊臣秀吉や徳川家康も舞う武家の式楽となった事。狂言も能と同じルーツで、能は散楽の音楽や舞の要素を強く受け継ぎ、狂言は散楽の滑稽な部分を受け継いだものである事。能は面を使用する音楽劇で、狂言は台詞劇で例外を除いて面を使用しない事。等々、能・狂言について知る事ができました。
能舞台や能面に秘められた豊かな表情の秘密について解説をしていただくと共に、能役者がいかに狭い視野で演じているのかを実際に能面(小面・こおもて・・若い女性のお面)を顔に付ける体験もしました。
はなご【花子】という狂言は、歌舞伎でも取り込まれ「身替座禅」として演じられており、「座禅をすると言って妻を遠ざけた男が、太郎冠者に座禅衾 (ざぜんぶすま) をかぶせて身代わりにし、愛人の花子のもとへ出かけていく。男が帰宅すると、衾の中に妻がいて、さんざんにしかられる。」といった内容ですが、この2つの映像による比較体験は、実に面白く興味深く拝見する事ができました。  

 

川島 靖男 様

 

 
 

・第125回月例会 −歴史・文化に親しむ会− 
 
 テーマ: 若者たちとの現在
      
 日 時: 2017年 1月25日(水) 16:00〜17:30
 場 所: 梅田エステート・ビル 5階会議室
・講 師: 浜畑 賢吉(はまはた けんきち) 様
      ( 大阪芸術大学教授 舞台芸術学科長 )
 
俳優で、大阪芸術大学教授の浜畑賢吉様に、「現在の若者達との接し方」についてお話しを頂きました。
『幼稚園児に会うとその幼稚園児のオーラを受けて疲れがとれます。それが、高校生くらいになると力を感じない若者が多いと感じます。昔、養成場にいた頃の若者は、ふてぶてしかった。今、それを感じません。
大学の教え子等若者に会うと必ず「君には才能がある?」と聞ききます。そうすると大概変な顔をします。 体重60キロの人は約60兆もの細胞で成り立っています。そのうち4分の一が脳にあって、一つの遺伝子に30億もの情報が入っており、才能は限りなく詰まっているのです。若者で才能のない人なんていません!才能が出て来ないのは、誰かに抑えつけられているか、自信を無くして才能を閉じ込めているかです。
そんな若者に自分の才能を認めさせ、はじけさせてやることが大切です。また、太陽の力等自然界のエネルギーをもらう事も大切です。若者には「いつもウキウキしていなさい」と言います。ウキウキしていれば細胞は活性化します。感動すればハングリーになります。「調子悪い?」と聞くだけで若い俳優は落ち込みます。若い俳優をダメにするには「ため息1つ」でOKです。・・』
浜畑先生が、1968年のテレビドラマ『進め!青春』での新米教師・高木進役を演じられました。現在、高木進役と同じ感じで大学で先生を勤めておられるとお聞きして、得心すると共に「そうありたい」なと感じました。
 

 

浜畑 賢吉 様

 

 
 
■講演・コンサート
 
未実施
 
■歴史・文化の探訪
 
未実施
 
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