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■催事実績内容 〜 2022年 〜
■月例会

 
・第196回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 環境に応じた植物の戦略
 日 時: 2022年12月21日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学付属植物園
      大阪府交野市私市2000
 講 師: 小口 理一 (おぐち りいち)様
      大阪公立大学 大学院理学研究科 准教授
 
大阪公立大学付属植物園では、植物学の研究を目的とし、わが国の代表的な樹林を再現した11種類の樹林や、メタセコイアに代表される新第三紀の森林等、様々な植物を観る事ができます。今回は、園内のアオノリュウゼツランやユッカ・アウストラリス等の乾燥地の植物、モミ・ツガ等のモミ・ツガ型針葉樹林、ウラジロガシやシラカシ等の高地カシ型照葉樹林、イチイガシやツクバネガシ等の低地カシ型照葉樹林、クヌギ、コナラ等の暖帯型落葉樹林を巡りながらの解説と、実験室での講義とを交えて、植物の戦略についてお話しいただきました。乾燥地の植物は、光を多く取り受けられる様に、放射状に延びている等のお話しがありましたが、中でも、「冬の落葉は何を意味するのか」のお話しが印象に残りました。ほぼ全ての植物が光合成により自ら窒素栄養分をつくっている独立栄養生物だそうです。秋になり日差しが弱くなると光合成により得られる栄養分も少なくなります。落葉樹の場合、光合成から得られる栄養分の方が葉を維持するために必要な栄養分より小さくなると採算が合わないため落葉します。ただ、葉を落とす前に、葉の栄養分(窒素)を幹へと回収するとお聞きしてビックリしました。植物の不思議な生態(戦略)の一旦を知る事ができました。

 

小口 理一 様

 

 
 

 
・第195回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 謎解き! 絵画でたどるアメリカの歴史
 日 時: 2022年11月22日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
 講 師: 浜本 隆三 (はまもと りゅうぞう)様
      (甲南大学 文学部英語英米文学科 講師)
 
アメリカへの入植が始まった1600年から1900年代にかけて描かれたアメリカの絵画を年代順に、その時代思潮を読み解いていただきました。トーマス・スミスの「自画像1680年」は、ピューリタンとして禁欲的で厳格な信仰と海運貿易で苦労の末に得た富との葛藤の様子を表している。その後、独立戦争にてイギリスから独立を果たす。チャールズ・ピールの「最初のアメリカのマストドン発掘1806年」は、アメリカで最初のマンモスの骨発掘の絵で、文化的にもアメリカの独自性への関心が高まった事がわかる。1830年頃になると自然は神の化身・神は全ての人に宿るという超絶主義が発展し、トーマス・コールの「シュロン山、アディロンダック1838年」は、天国に続く道である神の山を描いたものだ。ジョン・ガストの「アメリカの進歩1872年」は、先住民族を追いやった西部開拓は神意だと示している。ウィンスロー・ホーマーの「オールド ミル1871年」は、南北戦争後、多くの女性が工場で働く産業の危うさを表しているそうだ。ジョン・スローンの「女性の仕事1912年」は、女性自らの権利獲得の第1次フェミニズム運動が行われた時代だそうです。絵画を通して、アメリカの歴史を楽しく学ぶ事ができました。

 

浜本 隆三 様

 

 
 

 
・第194回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 大阪市内における行基の活動
 日 時: 2022年10月26日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
 講 師: 西本 昌弘(にしもと まさひろ)様
      関西大学 文学部 教授
 
奈良時代の高僧行基の事跡については、狭山池(大阪狭山市)や昆陽池(兵庫県伊丹市)などの農業用水確保の「ため池」事業や、聖武天皇の勅願による盧舎那仏(東大寺大仏)造立の勧進役(資金、資材などを募る役)をつとめた事で有名です。今回のご講演では、淀川下流の大阪市内中心部で行った活動についてお話をしていただきました。それは、聖武天皇による難波宮遷都事業を側面から支えるため、行基が摂津国西成郡の御津村や津守村で行った活動です。行基が建立した「大野寺・土塔(堺市)」から出土した瓦の銘と、「行基年譜」の記載情報が一致していることから、「行基年譜」は調査研究の拠り所として信頼できると判断されているそうです。この「行基年譜」によると、行基は、744年に、御津村の大福院、津守村の難波度院・平松院・作蓋部院という四院を設置したとあります。調査研究の結果、御津村は現在の難波当たり。津守村の場所は今の大阪駅周辺であると話されました。津守村は、難波宮の北方に有り、難波宮への租庸調を行う淀川等の港湾・渡河施設や、病気療養・宿泊施設である布施屋が置かれました。730年に設置した善源院を含む津守村の四院は、これら施設や布施屋の管理を行うと共に、大仏造立の勧進事業の拠点として造営されたそうです。ただ、現在の西成区津守は、江戸時代に津守新田として開発された所で、古代の津守村ではないとの事。場所の特定研究に西本先生をはじめ多くの学者が御苦労されてきた様子を感じるお話しに面白さを感じたご講演でした。

 

西本 昌弘 様

 

 
 

 
・第193回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 粘菌の基本的生態と触知の重要性
 日 時: 2022年 9月28日(水曜日) 15:30〜17:00
 場 所: Zoomオンライン
 講 師: 唐澤 大輔(からさわ だいすけ)様
      秋田公立美術大学複合芸術研究科 大学院 准教授
 
過去3回のご講演では、南方熊楠の人生、熊楠の思想、熊楠が研究していた粘菌の概要についてお話しいただきましたが、今回は、粘菌の不思議な生態についてお話しいただきました。粘菌は、公園の朽木や庭の枯葉など、私たちのごく近くに棲息しています。粘菌は、アメーバ状に広がり少しずつ動きながらバクテリアなどを捕食する変形体と呼ばれる時期と、キノコのような形になり胞子を飛ばす子実体と呼ばれる時期を持っていると話されました。名前に菌とつきますが、実は動物でも植物でも菌類でもない生物ですが、「アメーバ動物」に分類されているそうです。世界で900種発見されており、昭和天皇はチョウチンホコリという粘菌を発見されたそうです。粘菌(変形体)は、単細胞ですが、食べ物にぶつかると、仮足を出して捉え、体内に引き入れ、酵素を分泌して消化し養分を取り入れ、融合し大きくなる。更に、脳や神経系を持たず、指令無しに全体として動き回り、例えば迷路を最短距離で解く。視覚、聴覚、臭覚、味覚は無いが、光・温度・湿度を感じる触覚が非常に発達している。表面を「さわる」のではなく、さらに奥に行く行為「ふれる」ことにより、偶然の域を超えた「やりあて(熊楠の造語)」を可能にしていると話されました。そして、アートと粘菌とを接続する海外のアートプロジェクトや講師大学での粘菌研究クラブの取り組みについてもお話しいただきました。

 

唐澤 大輔 様

 

 
 

 
・第192回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
*コロナ感染の急拡大に鑑み、中止しました。
 
 テーマ: 未定
 日 時: 2022年 8月24日(水曜日) 15:30〜17:00
 講 師: 杭東 詠水(くいとう えいすい)様
      薩摩琵琶奏者
 
 
*:本講演は中止となりましたが、
  別の機会にご講演いただけるよう調整してまいります。

 

杭東 詠水 様

 

 
 

 
・第191回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 京に息づく魔除けの風習 〜 鬼門除けを事例として 〜
 日 時:  7月27日(水) 15:30〜17:30
 場 所: Zoomオンライン
      *コロナ感染急拡大を鑑みオンラインに変更して実施
・講 師: 藤野 正弘(ふじの まさひろ)様
      (京都産業大学日本文化研究所 上席特別客員研究員)

京の街中で見られる魔除けには、一階の屋根に置かれている高さ2〜30cmくらいの魔除けの人形「鍾馗さん」、祇園祭で授かり門口に飾る疫病災難除けの「粽(ちまき)」、厄除けや無病息災を願い門口に飾る「五山送り火の消し炭」、愛宕神社で授かり調理場に貼る火除けのお札「火廼要慎(ひのようじん)」、比叡山延暦寺等で授かり門口に貼る「角大師(つのだいし)」の護符(鬼になって疫病を滅する姿が描かれている)、「十二月十二日」と札に書き玄関等に逆さに貼る泥棒よけのお札等があるそうです。古代中国(黄河中流域)では、鬼や精魅が病気や災いをもたらすとされ、鬼が出入りする北東の方角(北東の民族を恐れ)を「鬼門」と呼ぶようになった。鬼が入って来ない魔除けの工夫を「鬼門除け」と呼ぶが、藤野様は、この研究事例が無かった為、調査研究をされました。建物の北東から鬼が入らない鬼門除けには、北東の隅に、@角を作らない角欠け、A桝形の結界を設ける四角、B柊や南天を植える植栽等の形態がある。京都市中心部の田の字地区を調べたところ、1098の鬼門除けを確認でき、古い建物だけでなく最近建てられた近代的建築物にも施されているとの事。ただ京都以外では見かけなくなったそうです。このように京都には魔除けの風習が色濃く残っていると話されました。

 

藤野 正弘 様

 

 
 

 
・第190回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: ドイツ・サイクリングへの誘い 〜 映像で観る5回の冒険旅行 〜
 日 時: 2022年 6月22日(水) 15:30〜17:30
 場 所: 大阪公立大学 文化交流センター
      大阪市北区梅田1-2-2-600 大阪駅前第2ビル6階
・講 師: 奥野 守 (おくの まもる) 様
     ( Klub Zukunft コンサート担当幹事 )

定年を前に野村芳弘氏著「折りたたみ自転車で行くドイツロマンチック街道ひとり旅」との出会いが夢となり、親友の「俺も行く」と背中を押してくれ実現したそうです。約10年で次の主要な歴史街道を走破されました。
第1回 満62歳 ロマンチック街道
         480キロ 16日間
第2回 満64歳 ライン川
         1420キロ 43日間
第3回 満68歳 ドナウ川
         750キロ 33日間
第4回 満70歳 アルペン街道
         750キロ 32日間
第5回 満71歳 孫とライン川
         50キロ 7日間
費用、宿泊施設、サイクリングの楽しみ・苦しみ・思い出・ドキッとした事・親友と決めた旅のルールについてのお話しをまじえながら、自転車に乗りながら撮影された風景や現地の人たちとの生々しい交流映像を紹介頂きました。ガストホーフという小規模で家族経営の宿に宿泊した時の、年配の女主人との楽しい暖かい映像は、親切な対応に感謝した様子が良くわかりました。全財産が入ったポシェットの置き忘れ、転倒しての病院通い等、ドキッとした事も今では良き思い出の様です。お孫さんとの二人サイクリングのお話しをお聞きして、私も孫に何か残したいと思い、新しい挑戦をしたいと思う月例会でした。

 

奥野 守 様

 

 
 

 
・第189回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: つながる琳派スピリット 神坂雪佳
 日 時: 2022年 5月24日(火) 16:30〜18:15
 場 所: 細見美術館
      京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
 講 師: 福井 麻純 (ふくい ますみ) 様
      ( 細見美術館 主任学芸員 )

京都の細見美術館で4月23日から開催の企画展「つながる琳派スピリット神坂雪佳展」を講師の解説付きで鑑賞いたしました。自然や人物・動物は大胆にデザイン化や簡略化をして、ビジュアル的な華やかさや面白さを表現した装飾性豊かな作風を総称して琳派と呼んでいます。桃山から江戸時代初期の俵屋宗達や尾形光琳の作風が、江戸時代後期の酒井抱一や鈴木其一の作品に影響を与えました。更にその作風は、明治時代の神坂雪佳(1866〜1942)にとつながったのです。神坂雪佳は、琳派の装飾性豊かな作風に傾倒し、新しい時代に合ったデザインを展開し、近代京都で活躍したそうです。その活動は絵画のみならず、染織や陶芸、漆芸、室内装飾など実に多彩なものでした。本展では、江戸時代の俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一らの作品、神坂雪佳の絵画作品、雪佳が関わった工芸品とその図案、雪佳が手掛けた美しい図案集が展示されていました。特に、神坂雪佳 の絵画「金魚玉図」や「十二ヶ月草花図」、工芸品「春花絵手箱」や「水の図向付皿」、図案集「百々世草」は、大変モダンで可愛らしいものでした。琳派のスピリットを受け継ぎ、絵画と工芸の世界を自在に行き来したマルチアーティスト・雪佳の世界を楽しむ事ができました。

 

福井 麻純 様

 

 
 

 
・第188回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 「連歌」の読み方   〜 連歌は将棋から生まれた 〜
 日 時: 2022年 4月27日(水) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪市立大学 文化交流センター
      大阪駅前第2ビル6階 ホール
 講 師: 光田 和伸 (みつた かずのぶ) 様
      (国文学者)

「やけに難しい」といわれる連歌についてお話し頂きました。冒頭、『連歌は「あなた(作者)の心をみせる」歌であり、「もので語る事を禁止」している。対して連句は「ものに託して心をしのばせる」いわゆるかしこさ比べの歌である。その為か連歌は男性より女性に好まれる。とにかく、おもしろくて、約35年という歳月を連歌研究に費やしてきた。』との話から始まりました。連歌とは、複数の人が長短句を交互に詠み継いでいくもので、詠み継ぐ中での「変化」を楽しみます。その為、同じ様な表現の繰り返しや、似た様なアイデアに偏る事を避けるために、ルール(式目)が設けられました。南北朝時代の公卿・二条良基が、連歌のルールについて1372年にまとめた「連歌新式」が、ほぼそのまま現在も使われているそうです。「群書類従」に収録されているので、今では誰でも通読できるが大変難しいとの事。そこで、講師は、「連歌新式」の体系を図示する方法を考案されたそうです。室町時代の連歌師・宗祇が宗匠を務めた連歌会の歌と、講師が宗匠を務めた連歌会の歌を、この図示方法を利用してそれぞれ図示した表を比較解説頂きました。その考案の効果が良くわかりました。京都・北野天満宮で催された本年三月の連歌会(講師が宗匠)の高校生の歌も紹介いただき、より連歌への興味が増した講演となりました。

 

光田 和伸 様

 

 
 

 
・第187回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: なぜ人は仏像を造ったのか
      〜 病をとりまく信仰と文化 〜
 日 時: 2022年 3月23日(火) 15:30〜17:00
 場 所: 大阪市立大学 文化交流センター
      大阪駅前第2ビル6階 ホール
 講 師: 田中 夕子 (たなか ゆうこ) 様
     ( 佛教大学 総合研究所特別研究員 )

2018年7月以来2度目のご講演をしていただきました。
新型コロナウイルスの様な疫病は、ワクチン等の最新医療により概ね命を守ることができますが、奈良・平安時代の人々は仏教に救いを求めました。薬師如来は、衆生の病苦を除き、安楽を与える等、現世利益をもたらすもので、仏教伝来以降早い時期から信仰されたそうで、法隆寺金堂の薬師如来座像は、その光背銘に「用明天皇(聖徳太子の父)の病気平癒祈願の為、造像を発願し、607年に造られた。」と記されている。また、「聖徳太子の病気平癒を願い造られた法隆寺釈迦三尊像」等も紹介いただきました。聖武天皇は、724年即位以降、政治的な争い、度重なる遷都、旱魃・飢饉、大地震、天然痘等の疫病流行により乱れた世の安泰を願い、745年東大寺の大仏建立を開始した。時代を経ると共に病気平癒だけでなく天下安泰等を願って仏像を造り祈願するようになった様です。十一面観音の前で罪過を懺悔し、あわせて天下安泰、五穀豊穣等を祈願する東大寺二月堂のお水取りは、奈良時代末期に始まり今も続けられています。平安時代になると、仏像や経典を大量に造る・経典を写す・経典を読む事が功徳であり、病気が治り極楽往生が得られると考えられる様になったそうで、源俊房の日記「水左記」に記されている俊房やその母尊子が行った造像一万体祈願等の仏事について紹介いただきました。

 

田中 夕子 様

 

 
 

 
・第186回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
 テーマ: 海や湖を泳いで島に渡ったり、市街地に出没するイノシシ
 日 時: 2022年 2月22日(火) 15:30〜17:00
 場 所: Zoomオンライン
 講 師: 高橋 春成 様
      (奈良大学名誉教授)

2011年9月以来2度目のご講演をしていただきました。
2013年の西南日本の市町村へのアンケートの結果、イノシシが泳いで渡ったと思われる島が110を超えることが判った。明治大正期に人間による開墾・開拓により、イノシシは山地部に追いやられ、生息地がかなり後退したそうです。ところが、1970年頃から米の生産調整が始まり、中山間地域の過疎化や高齢化により、田畑等が放棄されると藪地が拡がり、山地部に追いやられていたイノシシが、生息地を回復してくる。そして、湖岸や海岸付近まで生息するようになったイノシシは、泳いで周辺の島に渡った。この状況を滋賀県大津市栗原地区や琵琶湖の沖島等を例に説明いただきました。2013年のアンケートはこの状況を示している。イノシシは300m〜5km程の距離を泳ぐのは珍しくなく、最長は20kmを超えるそうだ。イノシシは山の動物と言う観念を捨て、狩猟・駆除においては周辺の島等に不用意に追い出さない事が大切だとの事。また、市街地への出没問題について、大阪泉南の小学校と周辺でイノシシに襲われケガを負った例を話され、泳ぐイノシシの背景と同じで、山から川伝いに藪地そして市街地に侵入したのだそうです。また、食べ物を与えたことから住み着いた六甲・神戸周辺での餌づけ問題も生じているそうです。地球環境と共に、今後大きな問題になる予感を感じるご講演でした。

 

高橋 春成 様

 

 
 

 
・第185回月例会 −歴史・文化に親しむ会−
 
開催を中止させていただきました。
下記ご講演は、またの機会にご講演いただける様に調整してまいります。

 
 テーマ: 日本人の心と古事記
 日 時: 1月26日(水曜日) 15:30〜17:00
 講 師: 吉村 孝史 (よしむら たかし)様
      大阪環境カンセラー協会 副理事
 
下記のお話をしていただく予定でした。
現在、日本経済新聞朝刊で連載されています、安部龍太郎の「ふりさきみれば」は、主人公阿倍仲麻呂の活躍と彼の心情が切々と伝わる小説となっております。日本とはどういう国であるかということを唐の玄宗皇帝(712 年即位)の認識を得るために辛苦する話が描かれています。当初、日本の姿が「古事記」(710年)で紹介されたのですが、それでは唐に評価されず、「日本書紀」(720年)が作成されたといわれております。本来の日本の姿は「古事記」か「日本書紀」かと、問われますが、どちらかは明白であります。ここに永年の研究の中から、日本の姿=日本人の心を分析された吉村講師のお話をお伺いしたいと思います。

 

吉村 孝史 様

 

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